まさやのきまぐれダイアリー

怠惰で人生追い詰められている限界大学生の日記帳。文字という形で積み上がる排泄物を毎日残しています。

日記:2021/10/25 (月)

こんばんは。まさやです。

 

よく何もしていない時は、頭の中でどうでもいい事を思索しているのですが、そういうのって大抵「これか!」と思うような結論を導き出すことができずに、結局ただの睡眠導入にしかならない事の方が多いです。

私は普段、Twitterなどで偉そうに文人気取りをしているしがない凡夫ですが、いくら考えても答えの出ない命題って皆さんの中にもありませんか?

私にはあります。

「”おとな”とは何か」

「”頭が良いひと”とは何か」

「”しあわせ”とは何か」

「どこからが”死”なのか」

みたいな感じです。

古来、ありとあらゆる人がこの命題にそれなりの答えを出してきました。

これらは陳腐な言葉選びで見飽きたかもしれませんが、それだけ一周まわって難解な問いという事なのでしょう。

私は気が落ち込んでいる時期によくこういった事を考えてはみるのですが、それっぽい答えが出ても翌日には忘れていることが殆どで、結局心の底では意外にもどうでもよいと思ってるのかもしれません。しかも日替わりで言う事がコロコロ変わる。

それに加えて、こういうのって「本当に〇〇な人は〜」から始まる、「目の前の人間を認めたくない人が用いる詭弁」としてよくネットの書き込み等で目にするので、私がそれなりに答えを出したところで、それは自己を可愛がり、他者を否定する道具にしかなり得ないのではないか?という不安があります。

分かりにくいと思うので、一例を上げてみます。

例えば、

「とても頭の良い友達が一般相対性理論について解説してくれたが、難しくてよく分からなかった。」

という文があったとします。それに対して

「いや、本当に頭が良い人だったらあなたにも分かるように説明できるから。だからその友達は頭良いとは言えない」

みたいなクソリプを送るのが、私の言う「他者否定」の例です。結構こういうの見ませんか?

これって言う側の中にも少なからず「〇〇な人」という型が存在しているのでしょうが、一つの答えを出してしまうと、別解もとい多様性を受け入れられない人間になってしまうのではないかという恐れを私は抱いているのです。

だからあまり、こういった問いに対して明確な一本の答えを出せない...というか、多分無意識下で出さないようにしているのです。

 

あっでも、「幸せとは?」って問いには、最近一つ解答が増えました。

朝イチのサウナの帰りに、松屋でソーセージエッグw定食を食べる事です。

 

 

さて、今日も特に何か起こったわけでもなく1日が過ぎ去ってしまいましたが、現在も昨日暴露した黒歴史に背中を刺されて苦しんでいます。

masaya0921.hatenablog.com

本当はもっと落書きが残ってた気がするのですが、中学、高校、大学の境目で大抵のものは捨ててしまうので残存している方が珍しいです。

高校時代のアイテムで今も使っているものなんて、体育のハーフパンツくらいでしょう。

あれ、かなり作りがしっかりしてるので全然ほつれないんですよね。

しか全身緑色のクソデザだったので、上のシャツとジャージは捨てましたけど。

後は文化祭のクラスTシャツ。これも捨てました。

文化祭の時期は部室に通ってクラスの手伝いを全然やらなかったので、一体感とか青春の思い出とか、知るかそんなものって感じでした。三年の時なんて俺だけTシャツ買わなかったし。

思春期の頃は色々な外的要因が絡んだ結果、周期的に切り替わる躁鬱二重人格みたいな性格をしていたので、特に鬱が強く出ていた文化祭の時期の事はあんまり思い出したくないんですよね〜...。

あの頃は特に理由もなく悲観的になっていて、まぁそういう年齢なんだと言い聞かせてましたが、

今思うと、それ以外にも一方的な恋愛絡みで、苦しんで苦しんで潰れた結果ああなったんじゃねぇかなって思ってます。そう考えたら昔の俺って可哀想なんだよな...結局未だに彼女0人だし。

なんの話だっけ。ああ昔の道具の話でしたね。

とにかく、学校ジャージ一式はかなりモノが良いです。今でもたまに寝巻きになったりしますからね。

 

ではまた明日。